草模様


  
昭和46年 高校2年生の時の話


高校は中部工大付属高校〔現 春日丘高校〕の
普通科でいろいろやっていた。

僕等の頃は ほとんど男子校状態だった。

一学年上に女子生徒が四人だけ居た。
全校生徒1000人位いて
たったの四人。

彼女等は他校では味わえないような
貴重な経験をしたと思う。


ま、それはそれとして
M君という親友がいた。

M君の手提げの黒い学生カバンは

厚みが5センチ位しかなかった。

そのペタン ペタンの鞄のなかには

弁当箱しか 入っていなかったような気がする。

現在は 可児市でレストランを自営しているようだが
まだ、一度も食べに行ったことはない。

危なくて あいつの作った料理など
 食べたくないからだ。〔笑〕


いつも 馬鹿な話をしていた間柄だった。
 
ある日の昼休み
いつになく 
真剣な顔立ちで

「俺な、今、女と付き合っているんだ。」

言われたことがあった。
そして

「佐藤も内緒で付き合っている 女 いるのだろう?」

聞かれた。
僕は 今ではそうではないが
その頃は 恥かしがり屋で内気な少年であった。

女の子と付き合うどころか 
高校に入ってからは
女の子としゃべったこともなかった。

「いない。

こたえると。


「嘘だろ。」

と 言い、M君は突然
アントニオ猪木のコブラツイストを
僕にかけてきた。

しっかり かかって しまい
 苦しむ僕に


「正直に 言え。いるんだろ?」
と 
しめあげてきた。

「うーん。いない。いない。痛い。ギブアップ・・・」

僕は プロレタリア作家の小林多喜二が
憲兵の拷問により
殺された時の情景を想った。


痛さのあまり

「文通している女の子、 なら、 いる。」

ついに白状してしまった。
すると

「今度、紹介してくれ」

ときた。
まだ コブラツイストはかかっている。

「ん・・・だめだ。遠いから、でも、写真はある。

やっと、技をはずしてくれたが
翌日 白黒の写真を一枚持っていくはめになった。

「ほうー、結構 かわいいぜ。」

写真を見て言った。
ー当り前だ。変な顔の写真を送って来る訳ないだろー

「体操部の選手なんだ。中学の同級生で・・・
特待で**高校へ入学し
 学生寮から 時々 手紙くれてる。

会った事は 卒業以来 一度もない。」

そんなことを僕は話した。そして、

「ところで、M君の付き合っている子のクラブは?」

聞いてみた。

「陸上部。」
と ぽつりと言った。

「陸上部なら、足 速くて カモシカのような子か?」
と 聞くと

「うーん。・・・。」
と 言ったきり次の言葉がでてこない。

「・・・・・・・・・・・・。」

僕に 卍がためができたならー
技を かけてやりたい、ところだ。

かなり 問いつめて、やっと教えてくれた。

それも 誰にも言わないという
男と 男の 約束を 誓わせられて

「陸上は陸上でも 砲丸投げの選手なんだ。」








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